各界にその名を馳せた明治期の太夫に、常磐津林中(ときわづりんちゅう)(1842-1906)がいます。
明治12年に家元未亡人の養子に入って小文字太夫を名乗りましたが19年に離縁、一時盛岡に引き篭もっていましたが、明治30年に9世団十郎の招きを得て歌舞伎の舞台に復帰し、大好評を博しました。
明治期の代表曲には、《釣女》《紅葉狩》《戻橋》などがあります。

明治39年(1906)に林中が死没すると、常磐津・岸澤両派は再び対立しましたが、昭和2年(1927)の常磐津協会(第一期)の発足によって解消しました。

第二次大戦後は、三世文字兵衛(1888-1960)、千東勢太夫(1916-78)、菊三郎(1897-1976)らが常磐津界を支えてきました。昭和56年には8世文字太夫ほか26名が重要無形文化財として総合指定を受け、常磐津の保存と発展に尽力しています。